《モジーン》33年分の夢。
1985年1月。僕は業界に入って初の欧州出張に出ました。成田空港からアンカレッジ経由でロンドンへ。ロンドンで数日過ごした後、フィレンツェとミラノと回り、最後の目的地はパリでした。当時在籍していた会社の二代目社長S氏、僕と同じく部長のM氏、そしてクリノの3人での出張です。4都市目のパリには是非観たいお店が沢山ありましたが、中でも世界一の革製品ブランドの旗艦店には絶対に行きたいと思っていました。念願叶って、そのお店に一歩足を踏み入れた瞬間は一生忘れられないでしょう。クラシックな内装の中に上質な革製品やシルクのスカーフが整然と並ぶ様子、香水の香り、制服を着た'おとな'ばかりの販売スタッフ...。それは洋服の小売業を営む者にとって理想とも言える姿。
その時点で既に創業148年の老舗です。全てが洗練され、磨き抜かれた商品群や展示手法、落ち着いた接客を目の当たりにして'一流というもの'の本質を見た気がしました。当時31歳の僕には手の届かない商品ばかりでしたが、それは価格面でなく自分の様な若僧が身につけるものではないと思いました。と、同時に洋服の世界でより高い理想を目指す者として'買う買わない'ではなく'あの空気'を体感した幸福感に満たされました。
あれから33年の月日が経ち、その間に僕は当時の会社から独立してユナイテッドアローズを創業し、役員となり、役員を退任して顧問になり...と様々なことがありましたが、引き続き年に6回は仕事でパリに行きます。
そして'あのお店'を訪れるとき、未だにときめきや緊張があります。それは'敷居が高い'ということでは無い気がします。物理的には、それなりの資金が有れば'あのお店'で買い物は出来ます。それでも、そんなにきやすい気持ちにならないのは何故でしょう?
'矜持'ということばがありますが、件のブランドやその旗艦店、そして商品にビシッと通った一本の筋は1837年から少しも曲がらず貫かれている感じがします。
あくまでも'質'を追求し続け、その手を緩めない...。同業者というには全くおこがましいですが、それでも
'小売業者'という意味では同じ立場の者として、彼等
の筋の通し方には心から尊敬と共鳴を禁じ得ません。
さて、何も買えなかった1985年1月の訪問時に唯一持って帰ったもの、それが'カタログ'です。単に商品紹介のカタログというよりも、或いは何かを売る為のツールというよりも'自分達のメッセージを伝える為のもの'として存在し、機能しています。
何も買えなかった初訪問でしたが、そこで感じたエスプリや呼吸した空気感は僕の一生の財産となりました。そして当時持ち帰ったカタログ...あれから一体何回見返したことでしょう。紹介されている商品、モデル、撮影のシチュエーション、イラスト、エッセイ...。あの冊子を通じて'伝えようとしているもの'は未だに同じ温度や重みで僕に響いてきます。
そして穴のあくほど眺めたカタログの中でも特に気になっていたのがブラウンのチロリアン・シューズでした。列車の旅をしている設定で車中において撮影されたシーンでモデルが履いていた靴。'あのブランド'のイメージとしては、むしろ良い意味で異質なスタイリングと言えるでしょう。コットン・プリントのパーカ(33年前とは思えぬ新鮮なアイテム)の下にはストライプのシャツと黒のタートル・ニットを重ね着しています。ここでのモデルは女性なのでスキーパンツの様な伸縮性のあるパンツに合せているチロリアン・シューズには少々無骨な印象さえありますが、その'はずし感'にもまた件のブランドの余裕を感じずにはいられません。シックでエレガントな旅の服を提供するメゾンにとって、この靴こそ彼等のフィロソフィーと共鳴できる逸品であったのです。
数日前、僕はこの靴とほぼ同じものを入手し、今日は青山1丁目と表参道と原宿をその靴で歩きました。
その靴こそパラブーツ社が世に送り出した最初のモデルと言われているモジーン(Morzine)です。ストーム・ウェルトのコバ、ノルウェイジャン・フロントのモカ縫い等々、本格的に防水やハードな歩行を前提とした、言ってみればヘヴィー・デューティな靴です。'あのブランド'の世界の中では異端児とも言える、しかし、同時に共通する本質とも言える'質実剛健'なシューズ。シンプルで飾らないということもまたエレガンスの本質です。
初めてパリを訪れ、数多くの素晴らしいお手本に出会ってから33年。自分達の納得の行く会社やお店の実現をめざして買い付けやオリジナル製作を行ってきました。まだまだ道半ばだと思います。でも少しずつ理想に近づけた気もします。現在の自分が関わっている仕事の内容や、一緒に歩んでくれる素敵な仲間達がいることに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
僕にとっては多分20足目のパラブーツである《モジーン》には33年分の夢が詰まっているのです。